癌と痴呆の神頼み

癌サバイバーの母(81)を介護する父(85)、それを支える家族のブログです。

奇跡的回復

その夜、治療は出来ないまでも痛みだけは緩和したいとの思いから、モルヒネの投与を始めました。医師からは、「モルヒネが呼吸中枢に作用して、最悪の場合、自律呼吸が出来なくなることがあります。」と言われました。母の場合、それは死を意味するのです。

夜中にワタシの妻と子供達も駆けつけ、退院祝いに渡すはずだったハラマキを手渡すと、自然に涙がこぼれてきました。

その後、父、兄、ワタシの交代で母の病室に泊まり、容態を見守りました。すると、徐々に心拍数や呼吸が安定し、血圧も上がってきたのです。2日目には、奇跡的に出血も止まり、意識も戻りました。

モルヒネの影響で、悪態をつくまでではありませんか、会話もできるようになり、死の淵から再び生還したのです。

母に残された時間は、決して長いものではありませんが、少しでも充実した時間を過ごせるよう、ホスピスへの入院を真剣に考えるようになりました。

退院、そして悪夢再び

いよいよ退院の日が迫ってきました。

自宅には介護用ベッドを搬入し、主治医、看護師、ケアマネジャー、訪問医療、訪問介護、介護ヘルパーと綿密な打ち合わせを行い、自宅療養への準備は万端、、、と思われました。

退院当日の夜の電話でも、いささか興奮気味に自宅に帰れたことを喜びを語っていました。

それなのに悪夢は次の日に訪れたのです。

会社からの帰宅途中、兄からの電話、

お袋がまた吐血した。元の病院に緊急搬送された。

退院の日に複数の関係者と長い間喋っていたのが良くなかったのかもしれません。あるいは、自宅とはいえ環境の変化が、思いの他ストレスになったのかもしれません。

いずれにしても、死の淵を彷徨っている母になす術無く、奇跡を祈るしかありませんでした。緊急対応してくれた医師の説明では、前回同様胃からの出血が見られており、何とか輸血で凌いでいるが、今後回復を目指して延命治療を続けるか、痛みを緩和しながら自然に出血が止まるのを待つか選んで欲しいとのことでした。母は以前から延命治療を望んでいなかった事から、ワタシ達は、延命治療を断り、自然に出血が止まるのを待つという苦渋の選択をしたのです。

 

 

在宅療養への準備

  もはや積極的な治癒を目指した医療処置が出来なくなった母に次の選択肢が迫られました。

転院するか、退院して自宅で在宅療養するかです。母の場合転院するのであれば、ホスピスとなるのですが、何人もの待機がいるらしく、1、2か月待ちとなる様です。在宅となると、年老いた父への負担が大きくなり心配ではありますが、様々なサポートがあることから、在宅療養をすることに決めました。

  自宅での療養は、住み慣れた環境で過ごせることによる精神的なメリットがあります。家族と一緒に過ごせる時間が長く、起床、食事、消灯時間も本人のペースで決められますが、医療従事者が常駐し医療器材が整備された病院に比べると、人的・物的なサポート体制は劣ります。
 足りない分のサポートは、医療・介護従事者の訪問サービスや、福祉用具の購入・レンタルサービスで補うことができます。訪問看護師による在宅看護は、在宅療養を支える医療従事者のサービスのひとつです。

  父も慣れない手つきで、点滴の交換手順を懸命に練習していました。

 

父に迫る危機

一週間もすると母の毒舌が戻ってきました。

「先生痛くしないでって言ってたのに、本当痛かったわよ。もう、先生信用しない!」

これには主治医もタジタジです。まぁ、それだけ回復したということでしょうか。

 

一方父の様子ですが、母の看病によるストレスもあるのでしょうが、物忘れの方も進行している様です。地元で有名な「物忘れ科」を受診させようとしたところ、2か月待ちとのことでした。

厚生労働省の2015年1月の発表によると、日本の認知症患者数は2012年時点で約462万人、65歳以上の高齢者の約7人に1人と推計されています。

認知症の前段階とされる「軽度認知障害(MCI: mild cognitive impairment)」と推計される約400万人を合わせると、高齢者の約4人に1人が認知症あるいはその予備群ということになります。

主治医から聞かされた衝撃の事実

緊急搬送から2日後、妻と見舞いに行った際に、主治医から衝撃の事実を聞かされました。

 母の出血は胃に隣接する動脈が破裂した為で、内視鏡で止血出来たのは奇跡に近かったとのこと。やはり、祈りが通じた様です。

そもそもナゼ動脈が破裂したかと言うと、元々胃の周りのリンパ節にあった癌が、抗ガン剤で縮小していったのですが、その時癒着していた正常な細胞や血管を引き込んでしまったそう。母の場合は残っていた胃が引き込まれ、文字通り胃に穴が開いてしまったのです。

確かに以前から、「胃が痛い、胃が痛い」と言っていたので、その頃から異変があったのでしょう。

更にその後の主治医の説明は本当に辛いものでした。曰く、「胃の穴は、塞ぐことは出来ません。穴の外の癌細胞が壁となって、胃の内容物が他の臓器側に漏れ出すのをかろうじて防いでいる状態です。今後、口から固形物を食べることは出来ないでしょう。」

抗ガン剤が効き過ぎて胃に穴が開くなんて、そんな理不尽な話があるでしょうか。抗ガン剤治療をしていなかったら、好きな物を食べて家族や友人と楽しい時間を過ごせたかもしれないと思うと、本当に残念です。

 ここから、全ての栄養を点滴で摂取する母の生活が始まりました。

母、緊急搬送!

8月某日、夏休みを利用した家族旅行を翌日に控え、早目に起床した朝、兄からの電話が、

お袋が吐血した。いつもの病院に緊急搬送されたらしいんだけど、今から行けるか?」

 抗ガン剤治療が順調に進んでいただけに、突然の知らせにショックを受けながらも車を走らせました。

まだ早い。何とか無事で

と、祈るしかありませんでした。

病院に着くと、憔悴しきった父。そして遅れて兄が。

主治医の話しによると、胃からの出血が止まらず、輸血を続けているとのこと。外科的な手術は体力的に無理なので、内視鏡で出血箇所を焼くことで出血が止まる可能性に賭けることにしました。

ICUでの処置が続くこと4時間あまり、ついに主治医から朗報が知らされました。出血が止まったのです。

その後、鼻や口に管を挿入された母と面会することが出来ましたが、生死の境を彷徨った姿に胸が熱くなりました。

 

今年の家族旅行は、前日キャンセルとなったことは、言うまでもありません。

抗ガン剤治療に何を求めるか

母の抗ガン剤は点滴で投与するものだったので、鎖骨の下あたりにCVポートを埋め込み針を刺す時の苦痛を少しでも避けられるようにしました。

後にこのCVポートが大活躍することになります。

1週間に1度、病院に通って検査や問診も含めて1日がかりの作業ですが、必ず父が付き添います。父の物忘れが目立つようになったのも、この頃でした。

心配していた副作用は、それほど酷くなかったのが救いでしたが、ご多分にもれず頭髪の方は次第に抜けて行きました。

この頃の母は、ウィッグや帽子を被り、趣味のマージャンにも出掛けることが出来ました。

母の人生で、趣味を楽しむことが出来た最後の時期です。